皆さんこんにちは^^
私はスピリチュアルカウンセラーという仕事柄、
祝詞や真言などはとても身近なものです。
(とは言え無宗教なんですけどね。)
今日は、悩んで苦しい時に是非読みたい祝詞をご紹介したいと思います^^
祝詞というと言葉が古くて難しいので、何を言っているのか分からないという方も多いと思いますが、
こちらは割と分かりやすいのではないかなと思います^^
神様云々抜きにしても、心が傷ついたり、悩んだり、苦しんだりしている時、
きっと心にスーッと沁み入るものがあると思います。
ご紹介したいのは「六根清浄大祓(ろっこんしょうじょうのおおはらえ)」という祝詞です。
六根というのは、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、意識のことで、
これらを清浄=清らかにしましょうということです^^
それを踏まえて、ちょっと長いですがこちらが全文です!
六根清浄大祓
(ろっこんしょうじょうのおおはらえ)
天照皇太神の宣はく
(あまてらしますすめおほみかみの のたまはく)
人は則ち天下の神物なり
(ひとはすなはち あめがしたの みたまものなり)
須らく静謐を掌るべし
(すべからく しずめしずまることを つかさどるべし)
心は則ち神明の本主たり
(こころはすなはち かみとかみとの もとのあるじたり)
心神を傷ましむること莫れ 是の故に
(あがたましいを いたましむること なかれ このゆゑに)
目に諸の不浄を見て 心に諸の不浄を見ず
(めにもろもろのふじゃうをみて こころにもろもろのふじゃうをみず)
耳に諸の不浄を聞きて 心に諸の不浄を聞かず
(みみにもろもろのふじゃうをききて こころにもろもろのふじゃうをきかず)
鼻に諸の不浄を嗅ぎて 心に諸の不浄を嗅がず
(はなにもろもろのふじゃうをかぎて こころにもろもろのふじゃうをかがず)
口に諸の不浄を言ひて 心に諸の不浄を言わず
(くちにもろもろのふじゃうをいひて こころにもろもろのふじゃうをいわず)
身に諸の不浄を触れて 心に諸の不浄を触れず
(みにもろもろのふじゃうをふれて こころにもろもろのふじゃうをふれず)
意に諸の不浄を思ひて 心に諸の不浄を想はず
(こころにもろもろのふじゃうをおもひて こころにもろもろのふじゃうをおもはず)
此の時に清く潔き偈あり
(このときに きよくいさぎよきことあり)
諸の法は影と像の如し
(もろもろののりは かげとかたちのごとし)
清く潔ければ仮にも穢るること無し
(きよくいさぎよければ かりにもけがるることなし)
説を取らば得べからず
(ことをとらば うべからず)
皆花よりぞ木実とは生る
(みな はなよりぞ このみとはなる)
我が身は則ち六根清浄なり
(わがみはすなはち ろっこんしゃうじゃうなり)
六根清浄なるが故に五臓の神君安寧なり
(ろっこんしゃうじゃうなるがゆゑに ごぜうのしんくんあんねいなり)
五臓の神君安寧なるが故に天地の神と同根なり
(ごぜうのしんくんあんねいなるがゆゑに てんちのかみとどうこんなり)
天地の神と同根なるが故に万物の霊と同体なり
(てんちのかみとどうこんなるがゆゑに ばんもつのれいとどうたいなり)
万物の霊と同体なるが故に
(ばんもつのれいとどうたいなるがゆゑに)
為す所の願として成就せずといふことなし
(なすところのねがひとして じゃうじゅせずといふことなし)
無上霊宝 神道加持
(むじゃうれいほう しんたうかじ)
ざっくりですが意味としては、
人は心静かに、穏やかな平安を心がけなければいけませんよ、
不浄なものを見ても、その不浄を心に留めない事、
不浄なことを聞いても、その不浄を心に留めない事、
不浄なものを嗅いでも、その不浄を心に留めない事、
不浄なことを言っても、その不浄を心に留めない事、
不浄なものに触れても、その不浄を心に留めない事、
不浄なことを考えても、その不浄を心に留めない事、
そうすれば、清く潔くいられる、
形があれば影があり、実体が清らかであれば、影も穢れることはない、
六根清浄であれば、体も健康でいられますよ、
そうあれば神様や万物の霊と同じになって、願い事だって叶うよということですね^^
「心神を傷ましむること莫れ」
自分の心を傷めてはいけません。
見たくないものが目に入ったり、聞きたくないことが耳に入ってきたり。
それは生きていれば仕方のない事です。
でもそれを心に留めず、心はいつも穏やかに、健やかに^^
皆さんは、この祝詞を読んでどう思いますか?
ストレス社会と言われる今を生きる人の心も、優しく包んでくれるように私は感じます^^
何かに悩み、心を痛めている方に、是非読んで頂きたい祝詞でした^^